経営統合に向けて交渉していたホンダ(三部敏宏社長)と日産自動車(内田誠社長)だが、2月6日に日産はホンダに協議打ち切りの意向を伝えた。両社の間で何が起きていたのか。
「国内では追浜工場(横須賀市)や横浜工場(横浜市)、海外ではメキシコ工場の一部が不要だろうが、内田誠社長も生産担当の坂本秀行副社長も思い切って工場を閉鎖する覚悟がない。 工場閉鎖で得られるコストダウン効果はそれほど大きくないが、社内外に危機感を示す効果がある。今後、ゴーン氏が取引先を1145社から600社に減らしたようなリストラも必要になる。下請け部品メーカーはさらに厳しい経営状況になるのだから、日産が自ら身を切る覚悟を示さなければならない」
内田氏が社長に選任された経緯には、鴻海の関潤氏との因縁がある。19年9月に西川廣人社長が報酬問題で辞任し、日産の社外取締役を含む6人で構成される指名委員会は次期社長の選定に入った。3人が当時専務の関氏を推し、2人が三菱自動車COOのアシュワニ・グプタ氏、1人は暫定CEOの山内康裕氏を推した。 「関氏が社長に決まりかけたが、そこにクレームを付けたのがルノー会長のスナール氏。もう一度選び直した結果、氏の推薦でいつの間にか内田氏が選ばれた。ルノーは能力が高い関氏よりも、内田氏の方が操りやすいと見たのではないか」(関係者)。当時、ルノーは43%の大株主。その意向は重いものだった。